古事記・現代語訳「下巻」雄略天皇

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雄略天皇

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后妃と御子

大長谷若建おおはつせわかたけ命は泊瀬はつせ朝倉宮あさくらのみやで天下を治めた。
天皇は大日下おおくさか王の妹である若日下部わかくさかべ王を妻にした(御子はない)。

また都夫良意富美つぶらのおほみの娘である韓比売からひめを妻としてお生みになった御子は、
白髪しらか命、
妹の若帯比売わかたらしひめ命の二柱である。

そして皇太子である白髪しらか御名代みなしろとして白髪部しらかべを定め、また長谷部はせべ舍人とねりを定め、また河瀬かわせ舍人とねりを定めた。

この天皇の御代みよ呉人くれひとが渡来した。
その呉人くれひとを飛鳥の呉原くれはらにお置きになった。
それでその地を名づけて呉原くれはらというのである。

若日下部王

当初、皇后の若日下部わかくさかべ日下くさかにいたとき、天皇は真っ直ぐに日下に越える道を通って河内かわちにお出でになった。
そのとき、山の上から国内を遠望なさると、屋根の上に堅魚木かつおぎを乗せて造ってある家があった。
天皇はその家について尋ね、
「その堅魚木かつおぎを屋根に乗せて家を作ってあるのは誰の家だ」
と言ったので、それに答えた。
「あれは志幾しき大県主おおあがたぬしの家です」

そこで天皇は、
「あいつめ、自分の家を天皇の宮殿に似せて造っている」
と言って、ただちに人を遣わしてその家を焼かせようとした。
そのとき、その大県主おおあがたぬしは畏れ慎んで、深く頭を下げて、
「私は卑しい奴でございますので、奴相応に気がつかずに過って作ってしまったことは、誠に畏れ多いことです。それでお許しをいただくための贈り物を献上しましょう」
と申し上げ、布を白い犬にかけ、鈴をつけて、自分の一族の腰佩こしはきという者に犬の繩をとらせて献上した。
そこで天皇はその家に火をつけることを止めさせられた。

そしてすぐに若日下部わかくさかべのところに犬を贈り、従者に言わせた。
「これは今日、道中で手に入れた珍しい物だ。だからこれを結納の品とする」
と言ってお贈りになった。

すると若日下部わかくさかべは天皇に奏上さて、
「日に背を向けておいでになったことはたいそう不吉なことです。ですから私のほうからすぐ参上してお仕えいたしましょう」
と申し上げた。

こういう次第で、天皇は朝倉宮あさくらのみやに帰ったが、そのとき、あの山の峠に通じる坂の上にお立ちになって、

日下部のこちらの山と、
(たたみこも)
平群へぐりの山の、
あちらとこちらの山の峡谷に、
繁茂している葉の広い大樫。
その木の根元には、
こんもり茂って枝をさしかわした竹が生え、
こずえのほうの斜面には、
枝葉の密生した竹が生えている。
(いくみ竹)組んでは寝もせず、
(たしみ竹)たしかには共寝もしない。
が、将来はきっと組み合って寝よう。
そのいとしい妻よ。ああ。(九一)

と歌った。
そこでこの歌を若日下部わかくさかべの使者に持たせて返した。

赤猪子

またあるとき、天皇が遊びにお出かけになって、三輪川みわかわに着いたとき、川のほとりで衣服を洗っている少女があった。
その容姿はとても美しかった。
天皇がその少女に、
「おまえは誰の子か」
とお尋ねになると、少女はお答えして、
「私の名は引田部ひきたべ赤猪子あかいこと申します」
と申し上げた。
すると天皇は、
「おまえはほかの男に嫁がないでいてくれ。今に宮中に召そう」
と言わせられて朝倉宮あさくらのみやに帰った。

そこで赤猪子あかいこは天皇のお召しの言葉をお待ちして、とうとう八十年が経った。
そこで赤猪子あかいこは、
「お召しの言葉をお待ちしている間にもう多くの年月が過ぎて、体つきも痩せしぼみ、もはや召される望みも全くなくなってしまった。けれども、これまで待っていた私の気持ちをはっきりお伝えしないでは気が晴れず、我慢ができない」
と思って、机に乗せたたくさんの品を持たせて参内して献上した。

ところが天皇は以前に言ったことを忘れていて、その赤猪子あかいこに尋ねた。
「おまえはどこのお婆さんだ。どういうわけで参内したのだ」
と言った。
そこで赤猪子あかいこはお答えして、
「先年のある月に、天皇のお言葉をいただき、お召しのお言葉をお待ちして今日まで八十年が経ってしまいました。今は容姿もすっかり老いて、お召しにあずかるという望みもまったくなくなりました。けれども、これまで天皇のお言葉を守ってまいった私の志操のほどをお打ち明け申し上げようと存じて参上したのでございます」
と申し上げた。

これを聞いて天皇は非常に驚いて、
「私はすっかり以前言ったことを忘れていた。それなのに、おまえは操を守り私の言葉を待って、女としての盛りの年をむなしく過してしまったのは誠に気の毒だ」
と言って、内心では結婚しようとお思いになったが、赤猪子あかいこが非常に年老いていて、結婚がおできにならないことを悲しんで、歌を賜った。

御諸の社の神聖な樫の木。
その樫の木のように、
神聖で近寄りがたいよ、
三輪の
樫原乙女かしはらおとめは。(九二)

という歌である。
さらに歌った。

引田ひけたの若い栗林。
そのように若いときに、
おまえと共寝すればよかったものを、
今はすっかり年老いてしまったよ。(九三)

これらの歌をいただくと、赤猪子あかいこの泣く涙がすっかりその着ている赤い摺り染めの衣の袖を濡らしてしまった。
そして、赤猪子あかいこは天皇の歌に答えた。

御諸の社に築きめぐらす立派な垣。
その「築く」という言葉ではないが、
神に
いつき仕え過して、
今は誰に頼りましょうか、
神の宮にお仕えする
宮人みやびとは。(九四)

と歌った。
また、

日下江くさかえの入江の蓮。
美しく咲き誇っているその蓮の花。
そのように若い盛りの人がうらやましいこと。(九五)

と歌った。
そこで天皇はその老女にたくさんの品物を賜って帰した。
さてこの四首の歌は志都歌しつうたという歌曲である。

吉野の童女

天皇が吉野宫よしののみやにお出かけになったとき、吉野川よしのがわの川辺に少女がいた。
その少女の姿は美しかった。
そこで天皇はこの少女と結婚して朝倉の宫にお帰りになった。

その後、さらにまた吉野にお出かけになったとき、その少女と出会った所にとどまられ、そこに立派な御呉床みあぐらを立ててその御吳床に座り、琴を弾き、その少女に舞を舞わせた。
すると、その少女が巧みに舞ったので歌を詠んだ。

呉床あぐらに座っておいでになる
神の御手で弾く琴にあわせて舞う少女よ。
その美しい姿は、
永遠であってほしいものだ。(九六)

それから阿岐豆野あきずのに出かけて狩りをした時のこと、天皇は呉床あぐらに座っていた。
すると、あぶが天皇の御腕に食いつくと、それをトンボが来てあぶを咥えて飛んでいった。
そこで天皇は歌を詠んだ。

吉野のおむろが嶽に猪や鹿が潜んでいると、
誰が天皇の御前に申し上げたのか。
(やすみしし)我が大君がそこで獣を待とうと呉床におすわりになり、
(しろたへの)袖もきちんと着ている腕の内側のふくらみに、
虻が食いつき、
その虻をトンボがさっそく咥えて行き、
このように手柄を立てたトンボを名につけようと、
(そらみつ)大和の国を
蜻蛉島あきずしまというのだ。(九七)

その時から、その野を名づけて阿岐豆野あずきのという。

葛城の一言主大神

またある時、天皇は葛城かずらきの山の上にお登りになった。
そのとき大きな猪が出て来た。
すぐさま天皇が鳴鏑なりかぶらの矢でそのいのししを射られたとき、その猪は怒って唸り声をあげて寄って来た。
それで天皇はその唸り声を恐ろしく思ってはりのきの木の上に逃げ登られた。
その時天皇は歌を詠んだ。

(やすみしし)わが大君が射られた猪の、
手負いの猪の唸り声が恐ろしくて、
私が逃げ登った高い峰の榛の木の枝よ。(九八)

またあるとき、天皇が葛城山かずらきのやまにお登りになった時、お供のたくさんの官人たちは皆、紅い紐をつけた青い摺染すりぞめの衣服を賜って着ていた。

そのとき、その向いの山の尾根伝いに山に登る人があった。
その様子は天皇の行幸の列にそっくりで、また服装の様も随行の人々も、よく似て同等であった。
そこで天皇はその様子を遠くに見て、お供の者に尋ねさせて言うには、
「この大和の国に私をおいては他に大君はないのに、今、誰が私と同じような様子で行くのか」
と言って、向うから答えていう様子も天皇のお言葉と同じようなものであった。
そこで天皇はひどくお怒りになって矢を弓につがえられ、大勢の官人等も皆矢をつがえた。
すると向うの人たちもまた、皆、弓に矢をつがえた。

それで天皇はまたお尋ねになって、
「それではそちらの名を名のれ。そして互いに名を名のってから矢を放とう」
と言った。
向うの人はこれに答えて、
「私が先に問われた。だから私が先に名のりをしよう。私は、悪い事も一言、善い事も一言で言い放つ神、葛城かずらき一言主ひとことぬしの大神である」
と言った。
天皇はこれを聞いて恐れ畏まって、
「畏れ多いことです、我が大神よ。現実のお方であろうとは気がつきませんでした」
と申し上げ、自分の太刀や弓矢をはじめて、多くの官人等の着ている衣服をも脱がせて、拝礼して献上した。

するとその一言主ひとことぬしの大神はお礼の拍手をしてその献上の品をお受け取りになった。
そして天皇が皇居にお帰りになるときに、その一言主ひとことぬしの一行は山の頂きに大勢集まって、泊瀬はつせの山の入口までお送り申し上げた。
それでこの一言主ひとことぬしはそのとき初めて現われたのである。

天語歌

また天皇が丸邇わにのサツキの臣の娘、袁杼比売おどひめに求婚するために春日かすがに出かけた時、その少女に道で出会った。
少女は行幸を見るとすぐ逃げて、丘のほとりに隠れた。そこで天皇は御歌をおよみになった。その歌は,

少女の隠れている丘を、
金鋤かなすきの五百丁もほしいな、
鋤で撥ね退けて、
少女を見つけ出そうものを。(九九)

それでその丘を名づけて、金鋤かなすきの岡という。

また天皇が、泊瀬はつせにある枝の茂った大きなけやきの木の下で、新嘗にいなめの酒宴をしたときに、伊勢国いせのくに三重郡みえのこおりから奉られた采女うねめが、天皇に御杯を高く捧げて献上した。
そのとき、その枝の茂ったけやきの葉が落ちて、采女うねめの捧げ持つ杯に浮かんだ。

その采女うねめは、落葉が杯に浮かんでいるのを知らずに、そのまま天皇に杯を献上した。
天皇はその杯に浮かんでいる落葉を見ると、その采女うねめを打ち伏せ、刀をその首に当てて斬り殺そうとした。
そのとき、采女うねめは天皇に、
「私を殺しなさいますな。申し上げることがございます」
と言って、歌を詠んだ。

纏向日代宮まきむくのひしろのみやは、
朝日の照り輝やく宫、
夕日の光り輝やく宮、
竹の根が十分に張っている宫、
木の根が長く延びている宫、
(八百土よし)築き固めた宮でございます。
(まきさく)
ひのき造りの宮殿の、
新嘗にいなめの儀式を執り行う御殿に生い立っている、
枝葉のよく茂った
けやきの枝は、
上の枝は天を覆っており、
中の枝は東の国を覆っており、
下の枝は田舎を覆っています。
そして上の枝の枝先の葉は中の枝に散り触れ、
中の枝の枝先の葉は下の枝に散り触れ、
下の枝の枝先の葉は、
(ありきぬの)三重の
采女うねめが捧げている立派な杯に、
浮き脂のように落ちて浸り漂い、
水をコオロコオロと掻き鳴らして島のように浮かんでおります。
これこそなんとも畏れ多いことでございます。
(高光る)日の御子よ。
事の語り言としてこのことを申し上げます。(一〇〇)

こうして歌を献ったので、天皇はその罪をおゆるしになった。
このとき、皇后が歌を詠んだ。

大和のこの小高い所にある市に、
小高くなっている市の丘。
そこの飾嘗の御殿に生い立っている、
葉の広い神聖な椿よ。
その葉のように、
心広くいらっしゃり、
その花のように、
お顔の照り輝いていらっしゃる、
(高光る)日の御子に、
めでたいお酒を差し上げて下さい。
事の語り言として、このことを申し上げます。(一〇一)

そこで天皇は、

(ももしきの)大宮人は、
首に白い
まだらの線のあるうずらのように、
首に領巾をかけて、
せきれいのように、
長い裾を交えて行き交い、
餌をついばむ庭の雀のように、
うずくまり集まって、
今日はまあ、酒に浸っているらしい、
(高光る)日の宮の宮人たちは。
事の語り言として、
このことを申し上げます。(一〇二)

と歌った。
この三首の歌は天語歌あまがたりうたである。

そこで、この新嘗にいなめの酒宴での三重みえ采女うねめを褒めて、多くの褒美の品をお与えになった。
この酒宴の日には、春日かすが袁杼比売おどひめもお酒を献上した時に、天皇は、

(みなそそく)宮仕えの少女が、
酒甕さけがめを持っておいでだよ。
酒甕は手にしっかりお持ちなさい。
しっかりと、いよいよしっかりとお持ちなさい。
酒甕をお持ちの少女よ。(一〇三)

と歌った。
これは宇岐歌うきうたである。
そこで袁杼比売おどひめが歌を献上した。

(やすみしし)我が大君が、
朝よりかかられ、
夕べにもよりかかられる、
あの脇息の下の板になりたいものです。アセヲ。(一〇四)

これは志都歌しつうたである。

天皇の年齢は百二十四歳(己巳つちのとのみの年の八月九日に崩御した)。
御陵は河内国かわちのくに丹治比たじひ高鷲たかわしにある。

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