日本国家発祥の地「日向の国」
邪馬台国・九州説における有力候補の一つが、宮崎県であり、日本最大級の古墳群である西都原古墳群がその強い根拠ともなっている。
宮崎県はかつて「日向の国」と呼ばれ、日本における重要な歴史書「古事記」「日本書紀」で日本国家発祥の地として記されている。
*古事記・日本書紀を参照のこと。
なんの脈略もなく「日向の国」が政治的意図の強い歴史書に登場することは考えにくく、古代日本において、この地に権威ある都市国家があった可能性は極めて高い。
西都市までの行程
邪馬台国を九州・西都市周辺とした場合、考えられる行程は以下の通りである。
不弥国(福岡市東部・宇美町周辺)以降は、御笠川を登って南下する。
その後、筑後川水系の宝満川に移ってさらに南下、有明海に出る。
3〜4世紀当時は、現在よりも海水面が4〜5mほど高く、、佐賀県のほとんどは海に浸かっていたとされる。
その当時の様子については、「Flood map」というウェブサイトを使えば、その「海抜+4m」をシミュレーションできる。
「Flood map」http://flood.firetree.net
Flood mapによりシミュレーションした地図を用いて、水行20日の行程を以下に示した。
九州の南部へ進むためには、九州の東西の海岸線を進むよりも、福岡市から川を登った方が効率的なのだ。
およそ20日ほどかかると予想される場所にある「5万戸」の大都市・投馬国が納まる土地としては、熊本平野であろう。
投馬国の有力候補としては熊本平野になる。
投馬国から、さらに南下すること10日ほどの場所としては、鹿児島の水俣市から出水市付近と考えられる。
ここから陸行1ヶ月により九州を横断し、宮崎県西都市周辺の邪馬台国に着く。
邪馬台国の周辺について
邪馬台国を宮崎県西都市周辺と考えた場合の、魏志倭人伝に記述されている周辺事情は以下の通りである。
倭国、邪馬台国、女王国、女王の都の使い分け
邪馬台国・九州西都市説を考える上で、以下の点を確認しておきたい。
倭国=日本人が住んでいる国
邪馬台国=女王の都がある国
女王国=倭国における、女王が統治している国々
女王の都=邪馬台国にある女王の住む都市
現在の日本で例えるなら、
倭国=東アジア
邪馬台国=関東首都圏
女王国=日本国
女王の都=東京
といったところである。
これを今回の邪馬台国比定地に当てはめると、
倭国=主に九州と、その他の地域
邪馬台国=宮崎県西都市周辺
女王国=九州全域と山口県南部
女王の都=邪馬台国内
実際、魏志倭人伝の記述に、
倭の地について尋ねたところ、大海中の孤立した島嶼の上にあって、国々が離れたり連なったりしながら分布し、周囲を巡れば5000余里ほどである。
とあるように、この使節団は「訪問先である倭人(主に女王に関係する人々)の住んでいる土地」を、基本的には「九州」だと考えているのだ。
だから、東の海を1000里渡ると別の倭種(同じ日本人)がいるという記述になっている。
これは、九州を出て、さらに海を渡って東進すると、倭の女王(卑弥呼)が統治していない他の倭人の国々があるというニュアンスだ。
「女王国の以北の国々」と「その南にある狗奴国」
山口・福岡で関門海峡を見たことがある人なら分かるように、関門海峡を挟んだ対岸は目と鼻の先であり、その海岸線の様子も普通に見ることができる。
それは、もう一つの隣国・四国との境界である豊予海峡のそれとは全く異なる。
このことから、下関市周辺はおそらく女王国に与する地域であり、そこを「別の倭種の国」と呼ぶことは考えにくい。
基本的に「女王国」は「九州」であるが、その権威が行き渡っている地域を、魏志倭人伝では以下のように記述しているものと考えられる。
女王国の以北は、其の戸数・道里を略載することが可能だが、其の他の傍国は遠く絶(へだ)たっていて、詳(つまびらか)に得ることができない。斯馬国、己百支国、伊邪国、都支国、彌奴国、 好古都国、不呼国、姐奴国、對蘇国、蘇奴国、 呼邑国、華奴蘇奴国、鬼国、爲吾国、鬼奴国、 邪馬国、躬臣国、巴利国、支惟国、烏奴国、奴国。此れが女王の境界が尽きる所である。
其の南には狗奴国がある。男子を王と為し、其の官に狗古智卑狗(くこちひく)が有る。女王に属せず。
つまり、関門海峡を渡ってその本州側の対岸にある国々を記述。しかし、そこにも境界(限界)があるというわけである。
次に興味深いのは、それに続く記述、
「その南に狗奴国がある」
である。
「その南」とは何を指すのか?
一般的には、狗奴国は九州南部・鹿児島周辺に否定されることが多いが、もしかすると、女王の権威が届いている「以北の国々」の、「その南」である可能性がある。
実際、魏志倭人伝のあとに書かれた『後漢書』にも「倭人伝」があるが、そこでの狗奴国の記述は、
女王国から東に海を1000里渡った先に、狗奴国がある
となっている。
つまり、魏志倭人伝を読んだ中国人は、狗奴国を「女王国」の東の海を渡った先にある国と捉えているわけだ。
その場所は、四国・瀬戸内海地域のことではないだろうか?
一大率は関門海峡
女王国の北に置かれていたとされる「一大率」は、北九州市または下関市周辺、もしくは関門海峡そのものだったのかもしれない。
女王国の北には、特別に一大率の官を置き諸国を監察させており、諸国はこれを畏(おそ)れている。常に伊都国で治めている。あたかも中国でいうところの刺史(長官)のようである。
日本語訳は魏志倭人伝・ウィキペディアによる
関門海峡であれば、周辺諸国を監視する上で最適だからだ。
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