古事記の内容がだいたい分かるようにしています。
天地開闢
天地開闢と同時に高天原に現れた神は、
天之御中主神、
高御産巣日神、
神産巣日神。
天地開闢後まもなく、まだ国土が水に浮いている脂のような状態で、クラゲのように漂っていた時、葦の芽が泥沼の中から萌え出るように現れた神があった。
宇摩志阿斯訶備比古遅神、
天之常立神、
国之常立神、
豊雲野神。
これらの神には姿形がなかった。
以降、姿のある神が現れた。
それぞれ男女一対の神々である。
宇比地邇神と須比智邇神。
角杙神と活杙神。
意富斗能地神と大斗乃辨神。
於母蛇流神と阿夜詞志古泥神。
伊邪那岐命と伊邪那美命である。
伊耶那岐命と伊耶那美命
天つ神一同が伊邪那岐と伊邪那美の二柱の神に命じて、日本国土をつくるための神聖な矛を授けた。
そこで二柱の神は、天地の間に架かった梯子の上に立たれ、その矛を刺し下ろして掻き回し、まず最初に淤能碁呂島をつくった。
二神は淤能碁呂島に降りて、神聖な柱(天御柱)を立て、大きな屋敷を建てた。
国産み
伊邪那岐と伊邪那美は、まずは国土を生んだ(国産み)。
最初に生んだ島々を大八島国という。
それぞれ、
淡路之穂之狭別島(淡路島)。
伊予之二名島(四国)。
愛比売(伊予国)、
飯依比古(讃岐国)、
大宜都比売(阿波国)、
建依別(土佐国)という。
三つ子の隠岐島である天之忍許呂別。
筑紫島(九州)。
白日別、(筑紫国)、
豊日別(豊国)、
建日向日豊久士比泥別(肥国)、
建日別(熊曾国)という。
次に壱岐島である天比登都柱。
次に対馬である天之狭手依比売。
次に佐渡島である天御虚空豊秋津根別。
大八島を生んだ後に、
吉備児島である建日方別。
小豆島である大野手比売。
大島(周防大島)である大多麻流別。
女島(姫島)である天一根。
知訶島(五島列島)である天之忍男。
両児島(男女群島)である天両屋を生んだ
神生み
伊邪那岐と伊邪那美は、国を生み終えてから後、さらに神を生み出した(神産み)。
生んだ神は、
大事忍男、
石土毘古、
石巣比売、
大戸日別、
天之吹男、
大屋毘古、
風木津別之忍男、
海の神である大綿津見、
水戸(港)の神である速秋津比古と、女神の速秋津比売である。
さらに、
風の神である志那都比古、
木の神である久久能智、
山の神である大山津見、
野の神である鹿屋野比売を生んだ。
またさらに、
鳥之石楠船、またの名は天鳥船。
大宜都比売を生んだ。
最後に、火之迦具土を生んだ。
しかし、この子を生んだために、伊邪那美は火傷をして死んだ。
伊邪那岐は、
「愛する我が妻を、たった一人の子に代えるとは思いもよらなかった」
と言って大変嘆き悲しみ、伊邪那美を出雲国と伯耆国との境にある比婆の山に葬った。
おさまりのつかない伊邪那岐は、迦具土の首を斬った。
伊邪那岐が使った太刀の名は、天之尾羽張という。
黄泉の国
伊邪那岐は、死んだ伊邪那美にもう一度会いたいと思い、あとを追って黄泉国に行った。
そして伊邪那美に黄泉国の御殿で再開し、伊邪那岐が言った。
「愛しい我が妻よ、現世に戻ってきてくれ」
すると、伊邪那美が答えた。
「残念ですが、私はすでに黄泉国の食物を食べてしまったので戻れません。けれども、愛しい我が夫が、わざわざ訪ねて下さったことは恐れいります。だから、黄泉国の神と相談してみます。ですが、その間、私の姿を御覧になってはいけません」
こう言って伊邪那美は、その御殿の中に帰っていったが、その間がたいへん長いため、伊邪那岐は待ちきれなくなられた。
それで伊邪那岐は、御殿の中に入って伊邪那美を見ると、女神の身体には蛆がたかり、体中を雷がゴロゴロと鳴っていた。
これを見た伊邪那岐は驚き、逃げて帰ろうとすると、伊邪那美は、
「私によくも恥をかかせたな」
と言って、ただちに黄泉国の醜女や軍勢を遣わして追いかけさせた。
そこで伊邪那岐は十拳剣を抜いて、うしろ手に振りながら逃げて来られた。
現世と黄泉国との境の黄泉比良坂の麓にやって来たとき、伊邪那岐は、そこに生っていた桃の実を三つを取って、待ちうけて投げつけたところ、黄泉の軍勢はことごとく退散した。
最後には、伊邪那美自身が追いかけて来た。
そこで伊邪那岐は、巨大な千引の岩をその黄泉比良坂に引き据えて、その岩を間に挟んで二神が向き合って、夫婦離別の言葉を交わした。
伊邪那美が言う。
「愛しい我が夫がこんなことをなさるなら、私はあなたの国の人々を、一日に千人締め殺す」
すると伊邪那岐は、
「愛しい我が妻よ、あなたがそうするなら、私は一日に千五百の産屋を建てる」
そんなわけで、一日に必ず千人の人が死ぬ一方で、一日に必ず千五百人の人が生まれることになった。
禊祓いと三貴子
このようなわけで、伊邪那岐は、
「私は、なんと穢らわしい、汚い国に行っていたことだろう。身体を清める禊をしよう」
と言って、筑紫の日向の橘の小門の阿波岐原で、禊ぎ祓いをした。
水の底に潜って、身を洗い清められる時に底津綿津見、底筒之男が生まれた。
次に水の中程で洗い清められる時に中津綿津見、中筒之男が生まれた。
水の表面で洗い清められる時に上津綿津見、上筒之男が生まれた。
この三柱の綿津見の神は、安曇連らの祖先神として崇め祭っている神である。
また底筒之男、中筒之男、上筒之男の三柱の神は、住吉神社(住吉大社)に祭られている三座の大神である。
そしてさらに、左目を洗った時に誕生した神が、天照大御神である。
次に、右目を洗った時に誕生した神が、月読命である。
次に、鼻を洗った時誕生した神が、須佐之男命である。
このとき、伊邪那岐はとても喜んで、
「私は子を次々に生んで、三柱の貴い子を得た」
と言い、天照大御神に、
「あなたは高天原をお治めなさい」
と命じた。
月読命には、
「あなたは夜の世界をお治めなさい」
須佐之男には、
「あなたは海原をお治めなさい」
と命じた。
天照大御神と須佐之男命
こうして、それぞれ命令した言葉に従って治めるようになったが、その中で須佐之男だけは、命じられた国を治めずに、大人になってからも長い間泣きわめいていた。
そのために、災害を引き起こし、あらゆる悪霊の災いが一斉に発生した。
伊邪那岐が須佐之男に向かって、
「なぜ、あなたは私が命じた国を治めないで、泣きわめいているのか」
と尋ねられた。
これに須佐之男は、
「私は、亡き母のいる根の堅州国に参りたいと思うので、泣いているのです」
と言った。
これに伊邪那岐は怒って、
「それならば、あなたはこの国に住んではならない」
と言い、すぐに須佐之男を追放した。
須佐之男は、
「それでは、天照大御神に事情を申しあげてから、根国に参りましょう」
と言って、天に上って行った。
この時、山や川がことごとく鳴動し、国土が震動した。
天照大御神がその音を聞いて驚き、
「私の弟がここに上って来るわけは、きっと善良な心からではあるまい。私の国を奪おうと思って来るのに違いない」
と言って、軍備を整えて待ち構え、
「どういうわけでここまで上って来たのか」
と須佐之男に尋ねた。
須佐之男が答えた。
「私は邪心を抱いてはいません。伊邪那岐は私を追放しました。母の国に行くことにしたので、その事情を申しあげようと思って、姉上のもとに参上しただけです。謀反の心など抱いてはおりません」
天照大御神は尋ねる。
「ならば、あなたの心が潔白で邪心が無いことは、どのようにして知るのですか」
これに対し須佐之男は、
「それぞれ誓約をして子を生みましょう」
と言った。
こうして二神が天の安川を中に挟んで、それぞれ誓約をすることになった。
まず、天照大御神が須佐之男が帯びている十拳剣を受け取った。
これを三つに折り、天の真名井の水に振り濯いで、これを嚙みに嚙んで砕き、息を吐き出すと、その霧から生まれたのは三柱の女神であった。
一方の須佐之男は、天照大御神が持っていた勾玉に付いている玉の緒を受け取った。
そして、玉の緒を天の真名井の水に振り濯いで、これを嚙みに嚙んで砕き、息を吐き出すと、その霧から生まれた神が五柱の男神であった。
天照大御神が須佐之男に言った。
「ここに生まれた五柱の男の子は、私の物である玉から生まれた神である。だから私の子と言える。一方、先に生まれた三柱の女の子は、あなたの剣を物実として生まれた神である。だからあなたの子である」
須佐之男が天照大御神に言った。
「私の心が潔白で明るい証拠として、私の生んだ子はやさしい女の子でした。この結果から申せば、当然、私が誓約に勝ったのです」
天岩屋戸
須佐之男は勝ちに乗じて、天照大御神の耕作する田の畔を壊し、田に水を引く溝を埋めた。
さらに、天照大御神がが新嘗祭の新穀を召し上がる神殿に、糞をひり散らして穢した。
このような乱暴をされても、天照大御神はこれを咎めなかった。
しかし、なお須佐之男の乱暴な振る舞いは止むことなく、ますます激しくなった。
神に奉るための神衣を機織女が織っていた時、須佐之男はその機屋の棟に穴をあけ、斑毛の馬の皮を逆さに剝ぎ取って、穴から落とし入れた。
機織女はこれを見て驚き、梭(機織り用具)で陰部を突いて死んでしまった。
これを見た天照大御神は恐れて、天の岩屋の戸を開いて、中に籠もった。
そのため、高天原はすっかり暗くなり、葦原中国も全て暗闇となった。
そして、あらゆる邪神の騒ぐ声は、夏の蠅のように世界に満ち、あらゆる災いが一斉に発生した。
このような状態となったので、ありとあらゆる神々が、天の安川の河原に会合して、高御産巣日神の子である思金神に対策を考えさせた。
まず常世国の長鳴き鳥を集めて鳴かせた。
そして、天香具山から枝葉の繁った賢木を、根ごと掘り起こして来た。
上の枝には勾玉を通した長い玉の緒を懸け、
中の技には八咫鏡を懸け、
下の枝には楮の白い布帛と、麻の青い布帛を垂れかけた。
天児屋が祝詞を唱えて祝福し、天手力男が岩戸の側に隠れて立った。
そして、天宇受売は、天香具山の日陰蔓を襷にかけ、真拆葛を髪に纏い、天香具山の笹の葉を束ねて手に持ち、天の岩屋戸の前で桶を伏せてこれを踏み鳴らし、神がかりして、胸乳をかき出だし、裳の紙を陰部まで押し下げた。
すると、高天原が鳴り轟くほどに、八百万の神々がどっと一斉に笑った。
天照大御神は不思議に思われて、天の岩屋戸を細めに開けて言った。
「私がここに籠もっているので、天上界は暗闇となり、葦原中国もすベて暗黒であるはずなのに、どうして天宇受売は舞楽をし、八百万の神々は皆で笑っているのだろう」
そこで天宇受売が、
「あなた様にも勝る貴い神がお出でになりますので、喜び笑って歌舞しております」
と申しあげた。
そう言っている間に八咫鏡を差し出して、天照大御神にお見せした。
天照大御神がいよいよ不思議にお思いになって、そろそろと岩屋戸から出て鏡の中を覗き込もうとする時に、戸の側に隠れ立っていた天手力男が、天照大御神の手を取って外に引き出した。
ただちに布刀玉が、注連繩を天照大御神の後ろに引き渡して、
「この繩から内に戻ってお入りになることはできません」
と言った。
こうして天照大御神が出てくると、高天原も葦原中国も太陽が照り、明るくなった。
その後、八百万の神々一同は相談して、須佐之男を高天原から追放した。
須佐之男追放
大気都比売神
追放された須佐之男は、食物を大気都比売神に求めた。
そこで大気都比売は、鼻、口、尻から美味しい食べ物を取り出して、いろいろと調理して整えて差し上げた。
須佐之男はその様子を見て、食物を穢して差し出している思って、すぐに大宜都比売を殺してしまった。
殺された大宜都比売の身体からは、
頭に蚕が生まれ、
二つの目に稲の種が生まれ、
二つの耳に粟が生まれ、
鼻に小豆が生まれ、
陰部に麦が生まれ、
尻に大豆が生まれた。
八俣の大蛇
高天原を追われた須佐之男は、出雲国に降り立った。
その地では、足名椎とその妻の手名椎が少女・櫛名田比売を間に置いて泣いていた。
須佐之男は、
「あなたはどういうわけで泣いているのか」
と尋ねた。
足名椎は、
「私の娘はもともと八人おりましたが、あの高志の八俣の大蛇が毎年襲ってきて、娘を食ってしまいました。今年もその大蛇がやって来る時期となったので、泣き悲しんでいます」
と答えた。
すると須佐之男は、
「その大蛇はどんな形をしているのか」
とお尋ねになる。
足名椎が答えた。
「その目は酸漿のように真っ赤で、胴体一つに八つの頭と八つの尾があります。そして、体には日陰蔓や檜と杉の木が生えていて、その長さは八つの谷、八つの峰に渡っており、その腹を見ると、一面に血が滲んで爛れています」
そこで須佐之男がその老人に、
「そのあなたの娘を、私の妻に下さらないか」
と言うと、足名椎は、
「恐れ入ります。しかしお名前を存じませんので」
とお答えした。
須佐之男は答えて、
「私は天照大御神の弟である。そして今、高天原から降って来たところだ」
と言った。
そこで足名椎と手名椎は、
「それは恐れ多いことです。娘を差し上げましょう」
と言った。
須佐之男は、たちまちその少女を爪形の櫛に姿を変えて、御角髪に挿し、足名椎と手名椎に命じた。
「あなた方は濃い酒を造り、垣を作り廻らし、その垣に八つの門を作り、酒糟を置いて酒を満たして待ち受けなさい」
と言った。
命じられたとおりの準備をして待ち受けていると、八俣の大蛇が現われた。
大蛇は八つの酒槽ごとに自分の頭を垂れ入れて、その酒を飲んだ。
そして酒に酔って、その場に留まって寝てしまった。
須佐之男は、身につけていた十拳剣を抜いて、その大蛇をズタズタに斬ったので、肥河の水は真っ赤な血となって流れた。
そして大蛇の中ほどの尾を斬った時に、剣の刃が欠けた。
不審に思って剣の先で尾を刺し割いて見てみると、素晴らしい太刀があった。
これが草薙太刀である。
こうして須佐之男は、新しく宮を造るべき土地を出雲国で探した。
そして須賀の地に来ると、
「私はここに来て、気分が清々しい」
と仰せられて、そこに新居の宮を造ってお住みになった。
このため、この地を今でも須賀と呼んでいる。
須佐之男が初めて須賀の宮を造ったとき、歌を詠んだ。
盛んに湧き起こる雲が、八重の垣をめぐらしてくれる。
新妻を籠もらせるために、八重垣をめぐらすことよ。
あのすばらしい八重垣よ。
大国主神
因幡の白兎
大国主神の兄弟には、多くの神々(八十神)がいた。
その神々は、皆それぞれ因幡の八上比売に求婚しようという下心があり、一緒に因幡に出かけたときに、大穴牟遅神(大国主神)に袋を背負わせ、従者として連れて行った。
気多の岬にやって来た時、丸裸になった兎が横たわっていた。
これを見た大勢の神々が、その兎に、
「お前がその体を治すには、潮水を浴びて、風の吹きあたって、高い山の頂に寝ておれ」
と教えた。
それでその兎は、神々の教えた通りにして、山の上に寝ていた。
すると、浴びた潮水が乾くにつれて、兎の体の皮膚が、すっかり風に吹かれてひび割れた。
それで兎が痛み苦しんで泣き伏していると、神々の最後について来た大穴牟遅神が、その兎を見て、
「どういうわけで、お前は泣き伏しているのか」
と尋ねた。
兎は、
「私は隠岐島にいて、ここに渡りたいと思いましたが、渡る方法がなかったので、海にいる和邇を騙して渡ったところ、一番端の和邇が私を捕えて、私の着物をすっかり剝ぎ取りました。先に行った大勢の神々が言われるには、『潮水を浴びて、風にあたって寝ておれ』とお教えになりました。それで教えの通りにしましたら、私の体は全身傷だらけになりました」
と言った。
そこで大穴牟遅は、その兎に、
「今すぐにこの河口(水門)に行って、真水でお前の体を洗って、その河口の蒲の花粉を取ってまき散らし、その上に寝ころがれば、お前の体はもとの肌のようにきっと治るだろう」
と教えた。
教えの通りにしたところ、兎の体は元どおりになった。
これが因幡の白兎である。
そこでその兎は、大穴牟遅に、
「あの大勢の神々は、八上姫比売を娶ることはできません。あなた様が娶られるはずです」
と申しあげた。
八十神の迫害
八上姫比売は八十神たちに答えた。
「私はあなた方の言うことは聞きません。大穴牟遅と結婚します」
これを聞いた八十神たちは怒って、大穴牟遅を殺そうと、大石を火で焼いて転がし落とした。
大穴牟遅はたちまちその焼け石に焼きつかれて、死んでしまった。
このことを知った御母神が泣き悲しんで高天原に上って、神産巣日命に救いを請うたところ、すぐ神々を遣わして蘇生させられた。
八十神たちはこれを見て、また大穴牟遅を騙して山に連れ込んだ。
そして大木を切り倒し、その割れ目の間に入らせて殺してしまった。
そこでまた御母神が泣きながら大穴牟遅を探したところ、見つけ出すことができた。
すぐにその木を裂いて取り出して復活させ、我が子である大穴牟遅に、
「あなたはここにいたら、八十神たちによって滅されてしまうだろう」
と告げて、すぐに紀伊国の大屋毘古神のもとに遣わした。
ところが八十神たちは探し追いかけて来て、弓に矢をつがえて大穴牟遅を引き渡せと求めた。
大屋毘古は、
「須佐能男命のおられる根の堅州国に向っていらっしゃい。きっと須佐之男が善いように考えて下さるでしょう」
と言った。
根の国への訪問
指示に従って須佐之男のいる所にやって来ると、その娘の須勢理毘売が出てきた。
大穴牟遅の姿を見て、互いに目を見かわし結婚し、須佐之男に、
「たいそう立派な神がお出でになりました」
と言った。
そこで須佐之男が出て一目見て、
「これは葦原色許男という神だ」
と言って、ただちに呼び入れて、蛇のいる室に寝させた。
そのとき、妻の須勢理毘売は、蛇の害を祓う領巾を夫に授けて、
「その蛇が食いつこうとしたら、この領巾を三度振って打ち払いなさいませ」
と言った。
こうして教えられた通りにしたところ、蛇は自然に鎮まったので、安らかに寝て、その室を出られた。
また翌日の夜は、蜈蚣と蜂のいる室に入れられた。
今度も蜈蚣と蜂を祓う領巾を授けて、前のように教えた。
それで無事にそこから出ることができた。
また須佐之男は、鐘矢を広い野原の中に射込んで、その矢を拾わせようとした。
そこでその野原に入ったとき、すぐに火を放ってその野を周囲から焼いた。
そのとき、出る所がわからず困っていると、鼠が現われた。
鼠に教えてもらった穴に隠れ潜んでいた間に、火は上を焼けて過ぎた。
そしてその鼠が鏑矢をくわえて出て来て、大穴牟遅に奉った。
須佐之男は、大穴牟遅はとっくに死んだと思って、その野に出で立たれた。
ところが大穴牟遅が、その矢を持って差し出してきた。
そこで、家の中に連れて入って、広い大室屋に呼び入れ、その頭の虱を取ることを命じた。
その頭を見ると、蜈蚣が一杯いた。
このとき妻は、椋の実と赤土とを取って夫に与えた。
掠の実を嚙み砕き、赤土を口に含んで唾を吐き出されると、須佐之男は蜈蚣を嚙み砕いて、唾を吐き出しているのだと勘違いし、心の中でかわいい奴だと思って、眠ってしまわれた。
このとき大穴牟遅は、須佐之男の髪を掴んで室屋の垂木に結びつけ、大きな岩をその室屋の戸口に引き据えた。
そして妻の須勢理毘売を背負い、すぐに須佐之男の宝物である生大刀、生弓矢、天詔琴を携えて逃げ出された。
そのとき、天詔琴が樹に触れて、大地が鳴動するような音がした。
それで眠っていた須佐之男が目を覚し、その室屋を引き倒してしまわれた。
けれども、垂木に結びつけた髪を解いておられる間に、大穴牟遅は遠くへ逃げのびて行かれた。
そこで須佐之男は、黄泉比良坂まで追いかけて来て、大声で呼びかけた。
「お前が持っているその生大刀、生弓矢で、お前の兄弟を追い払って、貴様が大国主神となり、須勢理毘売を正妻として、宇迦の山の麓に、太い宫柱を深く掘り立て、空高く千木をそびやかした宫殿に住め」
と言った。
そこでその大刀や弓でもって、兄弟の八十神を追い退けて、国作りを始められた。
八上比売は、先の約束どおり、大国主神と結婚された。
そして八上比売は出雲へ連れて来たのだが、本妻である須勢理毘売を恐れて因幡へ帰った。
少名毘古那神と御諸山の神
大国主神が出雲の美保の岬にいた時、波頭の上から蘿茶の実の船に乗って、蛾の皮を丸剝ぎに剝いで衣服に着て、近づいて来る神があった。
その名を尋ねたが、答えなかった。
また、お供に従っている神々に尋ねたが、
「知りません」
という。
そのとき蝦蟇が言うには、
「これは久延毘古がきっと知っているでしょう」
と申したので、すぐさま久延毘古を呼んで尋ねると、
「この神は、神産巣日の御子の少名毘古那です」
と答えた。
そこで大国主神が、神産巣日の御祖神にこのことを申し上げたところ、
「これは本当に私の子です。子供の中で、私の手の指の間から漏れこぼれた子です。そして、おまえは、葦原色許男と兄弟となって、その国を作り固めなさい」
と言った。
こうして、大穴牟遅と少名毘古那の二柱の神が共に協力して、この国を作り固められた。
そして後には、その少名毘古那は、海原の彼方の常世国に渡った。
大国主神が心配して言った。
「私は一人で、どうやってこの国を作り固めることができようか。どの神が私と協力して、この国を共に作るのだろうか」
このとき、海上を照らして近寄って来る神があった。その神が言うには、
「丁重に私の御魂を祭ったならば、私はあなたに協力して、共に国作りを完成させよう。もしそうしなかったら、国作りはできないであろう」
と仰せられた。
そこで大国主神が、
「それでは御魂をお祭り申しあげるには、どのように致したらよいのですか」
と聞くと、
「私の御魂を、大和の青々ととり囲んでいる山々の、その東の山の上に斎み清めて祭りなさい」
と答えた。
葦原中国の平定
天菩比神と天若日子
天照大御神は言った。
「豊葦原の千秋長五百秋の水穂国は、我が子の正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命の統治すべき国である」
そこで統治を委任することになり、御子を高天原からお降しになった。
そこで、高御産巣日と天照大御神の命令により、天の安川の河原に多くの神々を召集し、思金神に方策を考えさせた。
思金やあらゆる神々が相談し、
「天菩比神を遣わすのがよいでしょう」
と申し上げた。
それで天菩比を遣わしたところ、この神は大国主神に媚びへつらって、三年たっても復命しなかった。
高御産巣日と天照大御神は、また神々に尋ねた。
「葦原中国に遣わした天菩比が、久しく復命しない。今度はどの神を遣わしたらよかろうか」
そこで思金が答えて、
「天津国玉神の子である天若日子を遣わすのがよいでしょう」
と申し上げた。
ところが天若日子は、葦原中国に降り着くと、ただちに大国主の娘である下照比売を娶り、その国を我が物にしようとたくらんで、八年経っても復命しなかった。
建御雷神と事代主神
天照大御神が尋ねた。
「今度はどの神を遣わしたらよかろうか」
そのとき、思金や大勢の神々は、
「天の安川の川上の天の岩屋にいる、伊都之尾羽張という名を遣わすのがよいでしょう。もしそれでもダメであれば、その子である建御雷を遣わすのがよいでしょう」
と言った。
そこで天照大御神は、天鳥船神を建御雷に副えて、葦原中国に遣わした。
そんなわけでこの二柱は、出雲国の伊耶佐の小浜に降り着いて、十拳剣を抜き、それを逆さまにして波頭に刺し立て、その剣の切先にあぐらをかいて、大国主に尋ねた。
「天照大御神と高木の命令によって、そなたの意向を訊くために来た者である。そなたの領有している葦原中国は、我が御子の統治するべき国である。そなたの考えはどうなのか」
そのとき大国主は、
「私はお答えできません。私の子である八重事代主神がお答えするでしょう。ところが今、鳥狩りや漁のため、美保の崎に出かけいて、まだ帰って来ません」
と言った。
そこで天鳥船を遣わして、八重事代主を呼び寄せて、意向をお尋ねに行った。
大国主に事代主は言った。
「畏まりました。この国は天つ神の御子に奉りましょう」
ただちに乗って来た船を踏み傾けて、天の逆手を打って、船を青葉の柴垣に変化させ、その中に籠もった。
建御名方神
そこで建御雷が大国主に向かって、
「今、あなたの子の事代主が、そのように申した。他に意見を言う子がいるか」
と尋ねた。
すると大国主が、
「もう一人、我が子の建御名方神がおります。これ以外にはおりません」
そんな話をしている間に、その建御名方が、千人引きの大岩を手の先に差し上げてやって来て言った。
「誰だ、私の国に来て、そのように内緒話をするのは。それでは力競べをしてみよう。では、私がまずあなたのお手を掴んでみよう」
それで建御雷が、その手を掴ませると、たちどころに水柱に変化させ、また、剣の刃に変化させてしまった。
それで建御名方は恐れをなして引きさがった。
今度は建御雷が、建御名方の手を掴むと、葦の若葉を掴むかのように握り潰して放り投げられたので、建御名方は逃げ去ってしまった。
それを追いかけて行って、信濃国の諏訪湖まで追い詰めて、殺そうとしたとき、建御名方が言った。
「恐れいりました。私を殺さないでください。私はこの諏訪を離れません。また、父の大国主にも背きません。また、八重事代主の言葉にも背きません。この葦原中国は、天つ神の御子のお言葉に従って奉りましょう」
大国主神の国譲り
建御雷は、また出雲に帰って来て大国主に向かって言った。
「あなたの子供の事代主と建御名方の二柱は、天つ神の御子の仰せの通りに従って背きませんと言った。ところで、あなたの考えはどうなのか」
大国主が答えた。
「私の子供の二柱の申すとおりに、私は背きません。この葦原中国は、仰せの通りに、ことごとく献上致しましょう。ただし、私の住む所は、天つ神の御子が皇位をお継ぎになる立派な宮殿のように、地底の磐石に宮柱を太く立て、大空に千木を高々とそびえさせた神殿をお造り下さい。そうすれば、私は遠い遠い幽界に隠退しましょう」
と言った。
そこで建御雷は、高天原に帰り上って、葦原中国を平定し、帰順させた情況を復命された。
邇邇芸命
天照大御神と高木神は、日嗣の御子の正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命に言った。
「今、葦原中国を平定したと報告があった。よって、先に委任したとおり、その国に天降って統治なさい」
ところが、その日嗣の御子の天忍穂耳が、
「私が天降ろうと支度をしている間に、子が生まれました。名は天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命と申します。この子を降すのがよいでしょう」
と言った。
こういうわけで、天忍穂耳の言うとおりに、日子番能邇邇芸に命令を下して、
「この豊葦原の水穂国は、あなたが統治すべき国であると委任します。だから、命令に従って天降りなさい」
と言った。
日子番能邇邇芸が、天降ろうとするときに、天から降る道の辻にいて、上は高天原を照らし、下は葦原中国を照らしている神がいた。
そこで、天照大御神と高木は天宇受売神に対し、
「あなたはか弱い女であるが、向き合った神に対して、気おくれせず圧倒できる神である。だから、あなた一人で行ってその神に向って、『天つ神の御子の天降りする道に、そのように出ているのは誰か』と尋ねなさい」
と指示した。
天宇受売が尋ねると、その神が答えた。
「私は国つ神で、名は猿田毘古神と申します。私がここに出ている理由は、天つ神の御子が天降ってお出でになる、と聞きましたので、ご先導の役にお仕えいたそうと思って、お迎えに参っている次第です」
と申し上げた。
天孫の降臨
こうして天児屋、布刀玉、天宇受売、伊斯許理度売、玉祖、合わせて五つに分かれた部族の首長を加えて、天降りした。
そこには、天照大御神を岩屋戸からお招きした八尺瓊勾玉、鏡(八咫鏡)、草那芸之剣、それに常世の思金、手力男、天石門別を加えた。
天照大御神は、
「この鏡はひたすらに私の御魂として、私を拝むのと同じように敬ってお祭りしなさい。そして思金は、私の祭に関することをとり扱って政事を行ないなさい」
と言った。
天つ神は天津日子番能邇邇芸に命令を下した。
邇邇芸は高天原の神座をつき離し、天空に幾重にもたなびく雲を押し分け、神威をもって道をかき分けた。
途中、天の浮橋から浮島にお立ちになり、筑紫の日向の高千穂の霊峰に、天降りになった。
このとき邇邇芸が、
「この地は韓国に相対しており、笠沙の御崎にまっすぐ道が通じていて、朝日が真っ直ぐに差す国であり、夕日が明るく照る国である。だから、ここはまことに善い土地だ」
と言われ、地底の磐石に太い宮柱を立て、天空に千木を高くそびえさせた、壮大な宮殿にお住まいになった。
猿田毘古神と天宇受売命
邇邇芸が天宇受売に言った。
「この先導の役に奉仕した猿田毘古は、独りでこの神に対峙して、その正体を明らかにした、あなたがお送り申しなさい。またその神の名前は、あなたが背負って、天つ神の御子にお仕え申しなさい」
天宇受売は、猿田毘古を送って帰って来て、ただちに大小のあらゆる魚類を集めて、
「おまえたちは、天つ神の御子の御膳としてお仕え申しあげるか」
と問い糾した時、多くの魚が皆、
「お仕え申しましょう」
と言った中で、海鼠だけは答えなかった。
そこで天宇受売が海鼠に向かって、
「この口は答えない口か」
と言って、紐小刀でその口を裂いた。
だから今でも海鼠の口は裂けている。
木花之佐久夜毘売
天津日高日子番能邇邇芸は、笠沙の御崎で美しい少女を見つけた。
「誰の娘か」
と尋ねると、少女は答えた。
「私は大山津見の娘で、名は神阿多都比売、またの名は木花之佐久夜毘売命と申します」
そこで邇邇芸が、
「私はあなたと結婚したいと思うが、どうか」
と尋ねると、
「私は御返事いたしかねます。私の父である大山津見が、お答え申すことでしょう」
と答えた。
そこでその父の大山津見のもとへ、結婚を所望するために使者を遣わしたとき、大山津見はとても喜んで、姉の石長比売を副えて、多くの台の上に載せた品物を献上物として持たせて、娘を差し出した。
ところがその姉は、容姿が酷く醜かったので、邇邇芸はそれを見て恐れをなして、親のもとへ送り返し、妹の木花之佐久夜毘売だけを留めて、一夜の契りをお結びになった。
大山津見は、邇邇芸が石長比売を返したことに深く恥じ入って、
「私の娘を二人並べて奉りましたわけは、石長比売をお使いになるならば、天つ神の御子は、雪が降り風が吹いても、常に岩のように永遠に変わらず、揺るぎないものとなるであろうと考えたからです。また、木花之佐久夜毘売をお使いになれば、木の花が咲き栄えるように、ご繁栄になるであろうと、祈誓して奉りました。このように石長比売を返させて、木花之佐久夜毘売一人をお留めになりましたから、天つ神の御子の寿命は、木の花のように儚いものとなるでしょう」
言った。
こういう次第で、現在に至るまで、天皇の寿命は永久ではなくなったのである。
その後、木花之佐久夜毘売が邇邇芸の所に参って申し述べた。
「私は身重になって、やがて出産する時期になりました。この天つ神の御子は、私事として生むべきではありません」
邇邇芸が言う。
「佐久夜毘売は、ただ一夜の契りで妊娠したというのか。これは私の子ではあるまい。きっと国つ神の子にいない」
それに佐久夜毘売は答える。
「私の身籠っている子が、もしも国つ神の子であるならば、産む時に無事に生まれないでしょう。もし天つ神の御子であるならば、無事に生まれるでしょう」
と言って、すぐに戸口の無い大きな産殿を造り、その産殿の中に入り、土で塗り塞いだ。
出産のときになると、火をその産殿につけてお産をした。
そして、その火が盛んに燃えるときに、生んだ子の名は火照命。
これは隼人の阿多君の祖神である。
次に生んだ子の名は火須勢理命。
次に生んだ子の名は火遠理命、またの名は天津日子穂穂手見命である。
火遠理命
海幸彦と山幸彦
火照命は海幸彦として、海の大小さまざまの魚を取り、火遠理命は山幸彦として、山にいる大小さまざまの獣を取っていた。
ところが火遠理が、その兄の火照に、
「それぞれ猟具と漁具を交換して使ってみましょう」
といって何度もお願いになったが、兄は許さなかった。
しかし、ついにやっとのことで、取り替えてもらうことができた。
そこで火遠理は、漁具を用いて魚を釣ってみたが、一匹の魚も釣れず、その上その釣針を海に失った。
するとその兄の火照が釣針を求めて、
「山の獲物も海の獲物も、それぞれ自分の道具でなくては得られない。今はそれぞれ道具を返そう」
と言ったとき、弟の火遠理が答えて、
「あなたの釣針は、魚を釣ろうとしたが、一匹も釣れなくて、とうとう海になくしてしまいました」
と言った。
けれども兄は、無理やりに返せと責めたてた。
そこで弟は、身に帯びておられた十拳剣を砕いて、五百本の釣針を作って償おうとしたが、兄は受け取らなかった。
次は千本の釣針を作って償ったが受け取ってもらえず、
「やはり元の釣針を返してくれ」と言った。
海神宮への訪問
こうして弟の火遠理が泣き悲しんで海辺にいたときに、塩椎神がやって来て尋ねた。
「虚空津日高の泣き悲しんでおられるのは、どういうわけですか」
と言うと、火遠理は答えて、
「私と兄と釣針を取り替えて、その兄の釣針をなくしてしまったのです。ところが兄がその釣針を返せというので、たくさんの釣針を作って弁償しようとしたのですが、それを受け取らないで、『やはり元の釣針を返せ』と言い張るので、泣き悲しんでいるのです」
と言った。
そこで塩椎は、
「私があなた様のために善い計画を立てて差し上げましょう」
と言って、早速、竹を透き間なく編んだ籠の小船を造り、その船に火遠理を乗せて、
「私がこの船を押し流したら、しばらくそのままお進みなさいませ。よい潮路がありましょう。そこで、その潮路に乗ってお進みになれば綿津見の御殿があります。その宮の御門にお出でになりましたら、かたわらの泉のほとりに神聖な桂の木があるはずです。その木の上にいらっしゃれば、その綿津見の娘があなたのお姿を見て、取りはからってくれます」
と言った。
そこで教えられたとおりに少しお進みになると、すべてその言葉のとおりであったので、早速その桂の木に登った。
すると綿津見の娘である豊玉毘売命の侍女が、器を持って出て、泉の水を汲もうとしたとき、泉の水に光が差した。
ふり仰いで見ると、美しい立派な男子がいたので、大変不思議に思った。
このとき、火遠理はその侍女に、
「水が欲しい」
と水を求めた。
侍女はすぐさま水を汲んで、器に入れて奉った。
豊玉毘売は侍女に尋ねた。
「もしや、門の外に誰かいるのですか」
侍女は答えて、
「人が来ておりまして、私どもの泉のほとりの桂の木の上におられます。たいそう美しい立派な男性でございます。我が海神宮の王にも勝る、とても貴いお方です」
と言った。
それを聞いて豊玉毘売は不思議に思って、外に出て火遠理の姿を見るや一目惚れして、互いに目を見合わせた。
姫はその父に、
「我が家の門前に、美しい立派な方がおられます」
と報告した。
そこで綿津見が自ら門の外に出て見て、
「この方は、天津日高の御子の虚空津日高だ」
と言って、すぐに宮殿の中に案内し、やがて娘の豊玉毘売と結婚させた。
こうして火遠理は、三年間、綿津見国に滞在した。
火照命の服従
火遠理は、当初の事を思い出されて、深いため息をついた。
豊玉毘売は、そのため息を聞かれて父に、
「火遠理は三年もここに住んでおられますが、普段は嘆息することもなかったのに、今夜、深いため息をなさいました。もしや、何か理由があるのではないでしょうか」
と伝えた。
そこで父の綿津見は、火遠理に尋ねた。
「今朝、私の娘の語ることを聞くと、『三年もお出でになるけれども、平素は嘆息することもなかったのに、今夜、深いため息をなさいました』と言っていた。もしや、何か理由があるのか。あなたが、この国にお出でになった理由は、何でしょうか」
そこで火遠理は綿津見に、失ってしまった釣針を返せと責めたてた兄の様子を、詳細に語り告げられた。
これを聞いた綿津見は、海の大小の魚類をことごとく呼び集めて尋ねた。
「もしやこの釣針を取った魚はいないか」
すると多くの魚が答えて、
「近ごろ赤い鯛が喉に骨が刺さって、物を食べることができない、と悩みを訴えております。きっとこれが取ったのでしょう」
と報告した。
そこで綿津見が赤鯛の喉を探ったところ、釣針があった。
すぐに取り出して、洗い清めて火遠理に差し上げた。
その時、綿津見が教えて言った。
「この釣針をその兄君にお返しになるとき、口にする言葉は、『この釣針は、憂鬱になる釣針、気がイライラする釣針、貧しくなる釣針、愚かになる釣針』と唱えて、手を後ろに廻してお渡し下さい。そして、その兄君が、高い土地に田を作ったら、あなた様は低い土地に田をお作りなさい。またその兄君が低い土地の田を作ったら、あなた様は高い土地の田をお作りなさい。私は水を支配していますから、三年間は必ずその兄君は(凶作のため)貧窮に苦しむことでしょう。もしもそうなさることを恨みに思って、あなたに戦いを挑んで来るときは、この潮満珠を出して、潮水に溺れさせてください。もし兄君が苦しんで許しを乞うならば、潮干珠を出して命を助け、悩ませ苦しめなさい」
そうと言って、潮満珠と潮千珠、合わせて二つを授けて、ただちに鰐魚を呼び集めた。
一尋鰐魚が、
「私は一日でお送りして、ただちに帰って来れます」
と言った。
そこでその一尋鰐魚に、
「それではおまえがお送り申しあげなさい。海の中を通るとき、恐ろしい思いをさせしてはならないぞ」
と言いつけて、すぐにその鰐魚の首に乗せて送り出し申した。
そして約束したとおり、鰐魚は一日のうちにお送り申した。
その鰐魚を返そうとするとき、火遠理は身につけていた紐が刀を解いて、鰐魚の首につけてお返しになった。
こういうわけで火遠理は、綿津見の教えた言葉どおりに、その釣針を兄君にお渡しになった。
それ以後は、火照はだんだんに貧しくなって、さらに荒々しい心を起こして攻めて来るようになった。
火照が攻めて来ようとするときは、潮満珠を出して溺れさせ、苦しがって助けを乞うときは、潮干珠を出して救い、こうして悩ませ苦しめた。
そうして兄の火照が頭を下げて言ってきた。
「私はこれからのちは、あなた様の昼夜の守護人となってお仕え致しましょう」
鵜葺草葺不合命
海神の娘の豊玉毘売が、自身で火遠理のいる地上の国に出向いて来て言った。
「私は以前から身籠っておりまして、今は出産の時期になりました。このことを思いますに、天つ神の御子は、海原に生むべきではございません。それでここまで出て参りました」
そこで早速その海辺の渚に、鵜の羽を葺草にして産屋を造った。
ところが、その産屋の屋根がまだ葺き終らないうちに、豊玉毘売は陣痛が激しくなって堪えがたくなったので、産屋に入られた。
そして、いよいよお産が始まろうとするとき、その夫に指示した。
「異郷の者というのは、出産の時になると、自分の本国の姿になって産むのです。お願いですから、私の姿を御覧にならないでください」
火遠理はその言葉を不思議に思われて、お産が始まるところを、密かに覗いた。
すると、豊玉毘売は八尋もある大鰐になって、這い廻り身をくねらせていた。
この有様を一目見るや、火遠理は驚き、恐ろしさに逃げ去られた。
すると豊玉毘売は、夫が覗き見たことを知って、恥ずかしく思い、その御子を生んだまま残して、
「私はいつまでも海中の道を通って、ここと往き来しようと思っていました。けれども、私の姿を覗いて御覧になったのは、とても恥ずかしいことです」
言って、すぐに海の果ての境を塞いで、海神国に帰った。
こういうわけで、そのとき生まれた御子を名づけて、天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命というのである。
しかしその後、火遠理が覗き見た心を恨めしく思いながらも、夫を慕う心に堪えられなくて、その御子の養育係という理由で、妹の玉依毘売を遣わした。
日子穂穂手見命は、高千穂宮に五百八十年間いた。
御陵は、その高千穂の山の西にある。
この天津日高日子波限建鵜葺草葺不合が、その叔母である玉依毘売を妻として生んだ御子の名は、五瀬命、
次に稲氷命、
次に御毛沼命、
次に若御毛沼命、またの名を豊御毛沼命、そしてまたの名を神倭伊波礼毘古命という。
合わせて四柱。
御毛沼は、波の上を踏んで常世国にお渡りになり、稲氷は、亡き母の国がある海原に入った。
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