邪馬台国・九州説「鹿児島市・霧島市周辺」

邪馬台国
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鹿児島湾の沿岸に邪馬台国があった

古代日本において、九州の西部(肥国)と南部(熊曾国)は、強大な軍事力を持っており、ヤマト王権に対抗しうる勢力とされていた。
そのため、日本神話や歴史書では幾度となく九州征伐が行われている。

この九州南東部の勢力こそ、7万戸を誇る邪馬台国と、それに続く5万戸の投馬国であった可能性は高い。

鹿児島湾までの行程

邪馬台国を鹿児島湾沿岸部の鹿児島市・霧島市に比定した場合、その行程は以下のようになる。

不弥国(福岡市東部・宇美町周辺)以降は、御笠川を登って南下する。
その後、筑後川水系の宝満川に移ってさらに南下、有明海に出る。
3〜4世紀当時は、現在よりも海水面が4〜5mほど高く、、佐賀県のほとんどは海に浸かっていたとされる。

その当時の様子については、「Flood map」というウェブサイトを使えば、その「海抜+4m」をシミュレーションできる。
「Flood map」http://flood.firetree.net

Flood mapによりシミュレーションした地図を用いて、水行20日の行程を以下に示した。

九州の南部へ進むためには、九州の東西の海岸線を進むよりも、福岡市から川を登った方が効率的なのだ。
およそ20日ほどかかると予想される場所にある「5万戸」の大都市・投馬国が納まる土地としては、熊本平野であろう。
投馬国の有力候補としては熊本平野になる。

投馬国から、さらに南下すること10日ほどの場所としては、熊本県水俣市から鹿児島県出水市付近と考えられる。
ここから陸行1ヶ月により九州をさらに南下し、鹿児島市・霧島市周辺の邪馬台国に着く。
なお、この距離を陸行に1ヶ月もかけるのは長過ぎるとも考えられるが、途中の国々を視察・巡回しながら南下した可能性もある(これは畿内説も同様である)。

邪馬台国の周辺について

邪馬台国を鹿児島湾沿岸の地域と考えた場合の、魏志倭人伝に記述されている周辺事情は以下の通りである。

倭国、邪馬台国、女王国、女王の都の使い分け

邪馬台国・九州鹿児島市・霧島市周辺説を考える上で、以下の点を確認しておきたい。

倭国=日本人が住んでいる国
邪馬台国=女王の都がある国
女王国=倭国における、女王が統治している国々
女王の都=邪馬台国にある女王の住む都市

現在の日本で例えるなら、

倭国=東アジア
邪馬台国=関東首都圏
女王国=日本国
女王の都=東京

といったところである。
これを今回の邪馬台国比定地に当てはめると、

倭国=主に九州と、その他の地域
邪馬台国=鹿児島市・霧島市周辺
女王国=九州全域と山口県南部
女王の都=邪馬台国内

実際、魏志倭人伝の記述に、

倭の地について尋ねたところ、大海中の孤立した島嶼の上にあって、国々が離れたり連なったりしながら分布し、周囲を巡れば5000余里ほどである。

とあるように、この使節団は「訪問先である倭人(主に女王に関係する人々)の住んでいる土地」を、基本的には「九州」だと考えているのだ。
だから、東の海を1000里渡ると別の倭種(同じ日本人)がいるという記述になっている。
これは、九州を出て、さらに海を渡って東進すると、倭の女王(卑弥呼)が統治していない他の倭人の国々があるというニュアンスだ。

「女王国の以北の国々」と「その南にある狗奴国」

山口・福岡で関門海峡を見たことがある人なら分かるように、関門海峡を挟んだ対岸は目と鼻の先であり、その海岸線の様子も普通に見ることができる。
それは、もう一つの隣国・四国との境界である豊予海峡のそれとは全く異なる。

このことから、下関市周辺はおそらく女王国に与する地域であり、そこを「別の倭種の国」と呼ぶことは考えにくい。
基本的に「女王国」は「九州」であるが、その権威が行き渡っている地域を、魏志倭人伝では以下のように記述しているものと考えられる。

女王国の以北は、其の戸数・道里を略載することが可能だが、其の他の傍国は遠く絶(へだ)たっていて、詳(つまびらか)に得ることができない。斯馬国、己百支国、伊邪国、都支国、彌奴国、 好古都国、不呼国、姐奴国、對蘇国、蘇奴国、 呼邑国、華奴蘇奴国、鬼国、爲吾国、鬼奴国、 邪馬国、躬臣国、巴利国、支惟国、烏奴国、奴国。此れが女王の境界が尽きる所である。
其の南には狗奴国がある。男子を王と為し、其の官に狗古智卑狗(くこちひく)が有る。女王に属せず。

つまり、関門海峡を渡ってその本州側の対岸にある国々を記述。しかし、そこにも境界(限界)があるというわけである。

次に興味深いのは、それに続く記述、
「その南に狗奴国がある」
である。

「その南」とは何を指すのか?
一般的には、狗奴国は九州南部・鹿児島周辺に否定されることが多いが、もしかすると、女王の権威が届いている「以北の国々」の、「その南」である可能性がある。

実際、魏志倭人伝のあとに書かれた『後漢書』にも「倭人伝」があるが、そこでの狗奴国の記述は、

女王国から東に海を1000里渡った先に、狗奴国がある

となっている。

つまり、魏志倭人伝を読んだ中国人は、狗奴国を「女王国」の東の海を渡った先にある国と捉えているわけだ。
その場所は、四国・瀬戸内海地域のことではないだろうか?

一大率は関門海峡

女王国の北に置かれていたとされる「一大率」は、北九州市または下関市周辺、もしくは関門海峡そのものだったのかもしれない。

女王国の北には、特別に一大率の官を置き諸国を監察させており、諸国はこれを畏(おそ)れている。常に伊都国で治めている。あたかも中国でいうところの刺史(長官)のようである。

日本語訳は魏志倭人伝・ウィキペディアによる

関門海峡であれば、周辺諸国を監視する上で最適だからだ。

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