邪馬台国・九州説「北九州市周辺」

邪馬台国
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日本を統治する上での地政学的な重要性

北九州市周辺が邪馬台国と考えられるのは、その地政学的な優位性である。
属国としていた九州北部地域以外にも、大陸と交易をしていた国はあったであろうから、それらの国々より有利に立つためには、関門海峡をおさえることは重要だったはずだ。

ここをおさえておけば、瀬戸内海方面も日本海方面門も、大陸に向かう交易船は必ず検問したり、通行税などをとることができる。
交通の要衝としての機能が邪馬台国にはあったのであり、だからこそ倭国を代表する国になったのではないだろうか。

北九州市までの行程

邪馬台国・九州説のための基本情報は、
邪馬台国・九州説
を参照のこと。

その九州上陸後の候補地の中に、北九州市も含まれている。
本稿ではこの前提を踏まえた上で解説するため、未読の場合はそちらを参照してほしい。

以下が、その図である。

北九州市を邪馬台国と比定するためには、不弥国以降の記述については「宇佐周辺説」と類似した解釈をする。

つまり、

南至投馬國、水行二十曰。
南至邪馬壹國、女王之所都、水行十日、陸行一月。

については、不弥国から先の行程ではなく、投馬国と邪馬台国を、帯方郡からどれくらいの日数がかかる位置にあるかを記したのだ。
それまで距離を明示してきたのに、いきなり日数表記になる理由がそれだ。

詳細は、
邪馬台国・九州説
邪馬台国・九州説「宇佐周辺」
を参照のこと。

しかも、邪馬台国までの行程を説明してきた最後に、これらを念押しするように、
「自郡至女王國、萬二千餘里(帯方郡から女王国に至る、1万2000余里である)」
という記述まである。
あくまでも帯方郡から邪馬台国(女王国)までは1万2000里なのだ。

記述では、末盧国から不弥国まで一貫して東へ向かって進んできた。
そこで突然プッツリ記述が切れるということは、不弥国のすぐ近くが邪馬台国であることを伺わせる。
つまり、以下のような行程を踏んでいるのではないだろうか。

奴国は福岡市〜古賀市の海岸線に広がる大都市

ここで重要なのは、2万戸を誇る大都市・奴国の解釈である。
2万戸というのは、非常に大きな都市である。
ということは、その都市の範囲も広かったはずだ。

一般的には、奴国は福岡市の一部にあったとされているが、「奴国」と呼ばれる範囲はもっと広かったのではないだろうか。

邪馬台国が北九州市周辺であり、不弥国のすぐ隣だと考えるのであれば、不弥国は宗像市あたりにあった可能性が高い。

伊都国から奴国、奴国から不弥国までは、それぞれ100里(約8km)である。
ということは、奴国の西端は福岡市中心部、東端は古賀中心部までと考えられ、その範囲(約15km)に渡って広がる都市だったのかもしれない。
そうであれば、古代において2万戸の大都市であったことも頷ける。

そして、不弥国と邪馬台国は目と鼻の先だったわけだ。
もしかすると、不弥国の東端は遠賀川を挟んで交流のある地域だった可能性もある。
そうであれば、不弥国から邪馬台国までの距離の記述は省いてしまうほど、隣接していると言ってもいいレベルだったのであろう。

関門海峡に「一大率」を置いていた?

女王国の北方に重要な施設が用意されている記述がある。

原文:自女王國以北、特置一大率、檢察諸國、諸國畏憚之、常治伊都國。

和訳:女王国より北に特に一大率という官が置かれ、諸国を検察し、諸国は之を畏れており、伊都国に常駐していた。

魏志倭人伝・日本語訳はウィキペディアによる

この一大率は、関門海峡に配置されていたのではないだろうか。
関門海峡であれば、九州北部・中国地方・瀬戸内海地域といった諸国を検察するために最適の場所である。
特に邪馬台国より以東の国々としては、大陸と外交・交易をするには必ず通る場所だからだ。
それ故、普段は伊都国に常駐している一大率は、この関門海峡に出向して睨みを利かせるわけである。

東へ海を1000里渡ると別の倭種がいる

魏志倭人伝において女王国(邪馬台国)の位置特定に重要な記述に、「東へ海を1000里渡ると別の倭種がいる」というものである。
つまり、女王国は海に面しており、そのなかでも東に海が見える場所ということだ。

北九州市であれば、その条件も満たしている。
実際、関門海峡からスタートして1000里(約80km)の位置に、瀬戸内海の要衝「周防大島」がある。
ここを象徴的な交通の起点として、倭人たちは紹介したのかもしれない。

邪馬台国・北九州市説では、狗奴国はどこか?

原文:其南有狗奴國。男子爲王、其官有狗古智卑狗。不屬女王。

和訳:其の南には狗奴国がある。男子を王と為し、其の官に狗古智卑狗(くこちひく)が有る。女王に属せず。

魏志倭人伝・日本語訳はウィキペディアによる

邪馬台国の南にあるとされる、敵対勢力「狗奴国(くなこく)」についても考えてみよう。

北九州市周辺が邪馬台国であるならば、宇佐周辺説と同様、狗奴国の候補となるのは大分県南部の別府市、大分市あたりが有力である。
また、「南」を広くとれば、九州北部より以南はすべて狗奴国とも言える。
つまり、福岡県南部、佐賀県、熊本県、宮崎県、鹿児島県の地域である。

実際、邪馬台国が「倭国」として代表的だったのは、大陸との玄関口である対馬〜東松浦半島、そして海路の拠点である関門海峡を統治していたからかもしれない。

逆にその他の国々としては、大陸と交易して最新技術を輸入する上で、その権利を独占する邪馬台国が目の上のタンコブなのだ。
敵対していても不思議ではない。

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